インディ500
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インディアナポリス500マイルレース (Indianapolis 500 インディアナポリス500 インディ500とも呼ぶ) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月の第4週(メモリアルデー・ウィークエンド)に開催されるアメリカンモータースポーツの代表的レースである。
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[編集] 概要
1周2.5マイルのオーバルコースを200周、走行距離500マイルで争われる。第1回開催は1911年。F1モナコGP(年によってはモナコGPと同じ日に開催されることがある)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつ。
かつては世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていたが、F1ドライバーからの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった。1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれ40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。
1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年にポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年~1968年に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。格好はF1マシンに類似しているが、F1マシンに比べ最高速重視の設計がなされている。
上記の理由などもあり、毎年事故が多発するレースとしても知られている。特に、死亡事故は1964年のデイブ・マクドナルドとエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はList of Indianapolis 500 deathsを参照。
小さなサポートイベントなどを含めると約1ヶ月にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。
[編集] 予選方式
予選方式は何度か変更されているが、現在はおおむね以下の方式によって4日間で行なわれている。 ただし、雨が降れば中止になるため、予選日程は短縮される。(中止になった分も含めてその日の予選順位を決める) ドライバーは1日につき3回アタックが可能。1台ずつ、一回り目は抽選により決定されたアタック順によりアタックする。1回のアタックにつき4周スピード計測を行ない、その平均スピードで予選順位を競う。また、アタック途中で予選スピードが遅いと判断した場合は1日につき2回まで途中で中止する事ができ、このアタックはアタック回数にカウントされない。これを「ウェーブ・オフ」という。 なお、予選時間(1日につき6時間)中で予選アタックを行なうドライバーがいない時間帯については、すでに予選を通過しているドライバーも含めて周回数に制限の無い練習走行ができる。
なお、2010年については、予選開催が2日間に短縮される事がIRLより発表されている。
[編集] 予選1日目(ポール・デイ)
5月2週目の土曜日に行なわれる。予選1位(ポール・ポジション)~11位までを決める。11人以上タイム計測をした場合は、11位の選手を上回るタイムを記録した選手がいた場合、それまでの11位の選手は11人の枠から弾き出され、そのままではこの日の時点では予選通過ができないため、残りのアタック数がある場合再走行を強いられる事になる。1人でも自分よりいいタイムを出されると予選を通過できないドライバーのことを「オン・ザ・バブル」という。
[編集] 予選2日目
5月2週目の日曜日に行なわれる。予選12位~22位までを決める。ポール・デイで11位までは決まっているので、2日目にポール・デイで予選を通過したドライバーを上回るスピードを出しても、12位より上の予選順位は獲得できない。(それ以降の予選日についても同様)
[編集] 予選3日目
5月3週目の土曜日に行なわれる。予選23位~33位までを「いったん」決める。チームとしてエントリーしていれば、ドライバーをあとで決めたり、交代させる事も可能であるため、この日にはじめて予選アタックをするドライバーもちらほらと登場する。この日でフルグリッド33台までが埋まる事になるが、後述するバンプ・デイを控え、特に33位に近いドライバーにとってはこの日に通過した予選順位はあくまでも「暫定」でしかない事が多い。
[編集] 予選最終日(バンプ・デイ)
5月3週目の日曜日に行なわれる。予選通過をかけた最後のチャンスであり、予選通過・予選落ちを巡ってのドラマが毎年展開される。 3日間の予選の総合で(予選順位に関係なく)予選通過スピードがもっとも遅いドライバー(現在の方式では殆どの場合、暫定予選33位のドライバー)がまず「オン・ザ・バブル」となる。その後、オン・ザ・バブルのドライバーよりスピードが上回るドライバーがオン・ザ・バブルのドライバーを弾き出していく(「バンプ・アウト」)形となる。少し方式が複雑になるため、以下第92回(2008年)のバンプ・デイを例として示す。
- バンプ・デイの開始時点では前日の暫定予選33位のロスがオン・ザ・バブル(以下OTBと表記する)。(スピードはマイル単位)
- 31位 ロジャー安川218.010
- 32位 バディ・ラジアー217.939
- 33位 マーティー・ロス215.506←OTB
- A.J.フォイト4世がロスのスピードを上回り、ロスをバンプ・アウト。スピードは安川、ラジアーを上回るものの、前日記録された予選順位より上はいけないため、フォイト4世は33位の位置となる。ただし、OTBは全体でもっとも遅いドライバーとなるため、ラジアーがOTBとなる。
- 31位 ロジャー安川218.010
- 32位 バディ・ラジアー217.939←OTB
- 33位 A.J.フォイト4世219.184
- ロスがラジアーを上回るスピードを記録し、ラジアーをバンプ・アウト。OTBは安川に。
- 31位 ロジャー安川218.010←OTB
- 32位 A.J.フォイト4世219.184
- 33位 マーティー・ロス218.965
- ドミンゲスが安川を上回るスピードを記録し、安川をバンプ・アウト。そのドミンゲスは予選を通過できる位置とはなったもののOTB。
- 31位 A.J.フォイト4世219.184
- 32位 マーティー・ロス218.965
- 33位 マリオ・ドミンゲス218.620←OTB
- ラジアーがドミンゲスを上回るスピードを記録し、ドミンゲスをバンプ・アウト。当日記録したロスのスピードも上回ったため、ロスがOTB。
- 31位 A.J.フォイト4世219.184
- 32位 バディ・ラジアー219.015
- 33位 マーティー・ロス218.965←OTB
その後アタックした安川はロスのタイムを上回れず、ドミンゲスも2周目の計測時にクラッシュ。最終的にこの順位で確定した。
[編集] 歴代優勝者
| 回 | 年 | 優勝者 | 車体・エンジン | チーム/オーナー | レース距離[1] (マイル) |
平均時速[2] (マイル毎時) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1911年 | マーモン | マーモン | 500 | 74.602 | |
| 2 | 1912年 | ナショナル | ナショナル・モーター・ビークル | 500 | 78.719 | |
| 3 | 1913年 | プジョー | プジョー | 500 | 75.933 | |
| 4 | 1914年 | ドラージュ | ドラージュ | 500 | 82.474 | |
| 5 | 1915年 | メルセデス | E.C Patterson | 500 | 89.840 | |
| 6 | 1916年 | プジョー | プジョー | 300[3] | 84.001 | |
| 1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず | ||||||
| 7 | 1919年 | プジョー | I.M.S Corporation | 500 | 88.050 | |
| 8 | 1920年 | フロンテナック | ウィリアム・スモール・カンパニー | 500 | 88.618 | |
| 9 | 1921年 | フロンテナック | ルイ・シボレー | 500 | 89.621 | |
| 10 | 1922年 | デューセンバーグ・ミラー | ジミー・マーフィー | 500 | 94.484 | |
| 11 | 1923年 | ミラー | H. C. S.モーターカンパニー | 500 | 90.545 | |
| 12 | 1924年 | デューセンバーグ | デューセンバーグ | 500 | 98.545 | |
| 13 | 1925年 | デューセンバーグ | デューセンバーグ | 500 | 101.127 | |
| 14 | 1926年 | ミラー | ピーター・クライス | 400(雨) | 95.904 | |
| 15 | 1927年 | デューセンバーグ | ウィリアム・S・ホワイト | 500 | 97.545 | |
| 16 | 1928年 | ミラー | アルデン・サンプソン2世 | 500 | 99.904 | |
| 17 | 1929年 | ミラー | M. A. Yagle | 500 | 97.585 | |
| 18 | 1930年 | サマーズ・ミラー | ハリー・ハルツ | 500 | 100.448 | |
| 19 | 1931年 | スティーブンス・ミラー | B. L. シュナイダー | 500 | 96.629 | |
| 20 | 1932年 | ウェッタロス・ミラー | ハリー・ハルツ | 500 | 104.144 | |
| 21 | 1933年 | ミラー | ルイス・メイヤー | 500 | 104.162 | |
| 22 | 1934年 | ミラー | H. C. ヘニング | 500 | 104.863 | |
| 23 | 1935年 | ウェッタロス・オッフィー | ケリー・ペテイロ | 500 | 106.240 | |
| 24 | 1936年 | スティーブンス・ミラー | ルイス・メイヤー | 500 | 109.069 | |
| 25 | 1937年 | ショウ・オッフィー | ウィルバー・ショウ | 500 | 113.580 | |
| 26 | 1938年 | ウエッタロス・ミラー | ロウ・ムーア | 500 | 117.200 | |
| 27 | 1939年 | マセラティ | ボイル・レーシング | 500 | 115.035 | |
| 28 | 1940年 | マセラティ | ボイル・レーシング | 500 | 114.277 | |
| 29 | 1941年 | ウェッタロス・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 115.117 | |
| 1942年~1945年: 第二次世界大戦の影響により開催されず | ||||||
| 30 | 1946年 | アダムス・スパークス | Thorne Engineering | 500 | 114.820 | |
| 31 | 1947年 | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 116.338 | |
| 32 | 1948年 | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 119.814 | |
| 33 | 1949年 | デート・オッフィー | ロウ・ムーア | 500 | 121.327 | |
| 34 | 1950年 | カーティス・オッフィー | カーティス | 345(雨) | 124.002 | |
| 35 | 1951年 | カーティス・オッフィー | Murrell Belanger | 500 | 126.244 | |
| 36 | 1952年 | クズマ・オッフィー | Christopher J.C. Agajanian | 500 | 128.922 | |
| 37 | 1953年 | カーティス・オッフィー | ハワード・ケック | 500 | 128.740 | |
| 38 | 1954年 | カーティス・オッフィー | ハワード・ケック | 500 | 130.840 | |
| 39 | 1955年 | カーティス・オッフィー | ジョン・ジンク | 500 | 128.209 | |
| 40 | 1956年 | ワトソン・オッフィー | ジョン・ジンク | 500 | 128.490 | |
| 41 | 1957年 | エパリー・オッフィー | Geoge Salih | 500 | 135.601 | |
| 42 | 1958年 | エパリー・オッフィー | Geoge Salih | 500 | 133.719 | |
| 43 | 1959年 | ワトソン・オッフィー | Leader Cards | 500 | 135.875 | |
| 44 | 1960年 | ワトソン・オッフィー | Ken-Paul | 500 | 138.767 | |
| 45 | 1961年 | トレビス・オッフィー | Bignotti-Bowes Racing | 500 | 139.130 | |
| 46 | 1962年 | ワトソン・オッフィー | Leader Cards | 500 | 140.293 | |
| 47 | 1963年 | ワトソン・オッフィー | Christopher J.C. Agajanian | 500 | 143.137 | |
| 48 | 1964年 | ワトソン・オッフィー | Ansted-Thompson Racing | 500 | 147.350 | |
| 49 | 1965年 | ロータス・フォード | チーム・ロータス[6] | 500 | 150.686 | |
| 50 | 1966年 | ローラ・フォード | メコン・レーシング・チーム | 500 | 144.137 | |
| 51 | 1967年 | コヨーテ・フォード | Ansted-Thompson Racing | 500 | 151.207 | |
| 52 | 1968年 | イーグル・オッフィー | Leader Cards | 500 | 152.882 | |
| 53 | 1969年 | ホーク・フォード | STP | 500 | 156.867 | |
| 54 | 1970年 | PJコルト・フォード | Vel's Parnelli Jones Ford | 500 | 155.749 | |
| 55 | 1971年 | PJコルト・フォード | Vel's Parnelli Jones Ford | 500 | 157.735 | |
| 56 | 1972年 | マクラーレン・オッフィー | ペンスキー・レーシング | 500 | 162.692 | |
| 57 | 1973年 | イーグル・オッフィー | オール・アメリカン・レーシング | 332.5(雨) | 159.063 | |
| 58 | 1974年 | マクラーレン・オッフィー | マクラーレン[6] | 500 | 158.589 | |
| 59 | 1975年 | イーグル・オッフィー | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 161.331 | |
| 60 | 1976年 | マクラーレン・オッフィー | マクラーレン | 255(雨) | 148.725 | |
| 61 | 1977年 | コヨーテ・フォイト | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 161.331 | |
| 62 | 1978年 | ローラ・コスワース | シャパラル・レーシング | 500 | 161.363 | |
| 63 | 1979年 | ペンスキー・コスワース | ペンスキー | 500 | 158.899 | |
| 64 | 1980年 | シャパラル・コスワース | シャパラル・レーシング | 500 | 142.862 | |
| 65 | 1981年 | ペンスキー・コスワース | ペンスキー・レーシング | 500 | 139.084 | |
| 66 | 1982年 | ワイルドキャット・コスワース | STPパトリック・レーシング | 500 | 162.029 | |
| 67 | 1983年 | マーチ・コスワース | Bignotti-Cotter | 500 | 162.117 | |
| 68 | 1984年 | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 163.612 | |
| 69 | 1985年 | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 152.982 | |
| 70 | 1986年 | マーチ・コスワース | トゥルースポーツ | 500 | 170.722 | |
| 71 | 1987年 | マーチ・コスワース | ペンスキー | 500 | 162.175 | |
| 72 | 1988年 | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 144.809 | |
| 73 | 1989年 | ペンスキー・シボレー | パトリック・レーシング | 500 | 167.581 | |
| 74 | 1990年 | ローラ・シボレー | Doug Shierson Racing | 500 | 185.981[7] | |
| 75 | 1991年 | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 176.457 | |
| 76 | 1992年 | ギャルマー・シボレー | Galles-Kraco Racing | 500 | 134.477 | |
| 77 | 1993年 | ペンスキー・シボレー | ペンスキー | 500 | 157.207 | |
| 78 | 1994年 | ペンスキー・メルセデス | ペンスキー | 500 | 160.872 | |
| 79 | 1995年 | レイナード・フォード | チーム・グリーン | 500 | 153.616 | |
| 80 | 1996年 | レイナード・フォード | Hemelgarn Racing | 500 | 147.956 | |
| 81 | 1997年 | Gフォース・オーロラ(オールズモビル) | Treadway Racing | 500 | 145.827 | |
| 82 | 1998年 | ダラーラ・オーロラ | チーバー・レーシング | 500 | 145.155 | |
| 83 | 1999年 | ダラーラ・オーロラ | A.J.フォイト・エンタープライゼス | 500 | 153.176 | |
| 84 | 2000年 | Gフォース・オーロラ | チップ・ガナッシ・レーシング | 500 | 167.607 | |
| 85 | 2001年 | ダラーラ・オーロラ | ペンスキー | 500 | 153.601 | |
| 86 | 2002年 | ダラーラ・シボレー | ペンスキー | 500 | 166.499 | |
| 87 | 2003年 | パノスGフォース・トヨタ | ペンスキー | 500 | 156.291 | |
| 88 | 2004年 | パノスGフォース・ホンダ | レイホール・レターマン・レーシング | 450(雨) | 138.518 | |
| 89 | 2005年 | ダラーラ・ホンダ | アンドレッティ・グリーン・レーシング | 500 | 157.603 | |
| 90 | 2006年 | ダラーラ・ホンダ | ペンスキー | 500 | 157.085 | |
| 91 | 2007年 | ダラーラ・ホンダ | アンドレッティ・グリーン・レーシング | 415(雨) | 151.774 | |
| 92 | 2008年 | ダラーラ・ホンダ | チップ・ガナッシ・レーシング | 500 | 143.567 | |
| 93 | 2009年 | ダラーラ・ホンダ | ペンスキー | 500 | 150.318 | |
- ^ 降雨によって途中で打ち切られたレースには(雨)と付けた
- ^ 太字はその時点での最速記録
- ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催された
- ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1のコンストラクターズタイトルも獲得している
- ^ 平均レース時速最速記録。時速299.307km。
[編集] 記録
[編集] ドライバー
[編集] 勝利数
| 回数 | ドライバー | 年 |
|---|---|---|
| 4 | 1961年、1964年、1967年、1977年 | |
| 1970年、1971年、1978年、1987年 | ||
| 1979年、1984年、1988年、1991年 | ||
| 3 | 1928年、1933年、1936年 | |
| 1937年、1939年、1940年 | ||
| 1941年、1947年、1948年 | ||
| 1974年、1976年、1980年 | ||
| 1968年、1975年、1981年 | ||
| 2001年、2002年、2009年 | ||
| 2 | 1921年、1923年 | |
| 1953年、1954年 | ||
| 1959年、1962年 | ||
| 1973年、1982年 | ||
| 1989年、1993年 | ||
| 1992年、1994年 | ||
| 1990年、1997年 |
[編集] 連勝
2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。
- ウィルバー・ショウ(1939年・1940年)
- マウリ・ローズ(1947年・1948年)
- ビル・ブコビッチ(1953年・1954年)
- アル・アンサー(1970年・1971年)
- エリオ・カストロネベス(2001年・2002年)
[編集] 他カテゴリとの間の記録
- モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと関係する記録は世界三大レースを参照のこと
- アメリカ合衆国の他カテゴリと複数制覇
| ドライバー | インディ500優勝 | CART/IRLチャンピオン | デイトナ500優勝 | デイトナ24時間レース優勝 |
|---|---|---|---|---|
| 1958年 | 1956年、1957年 | — | — | |
| 1959年、1962年 | 1959年、1962年 | — | — | |
| 1961年、1964年、1967年、1977年 | 1960年、1961年、1963年、1964年、 1967年、1975年、1979年 |
1972年 | 1983年、1985年 | |
| 1968年 | 1968年、1974年 | — | — | |
| 1969年 | 1965年、1966年、1969年、1984年 | 1967年 | 1972年 | |
| 1970年、1971年、1978年、1987年 | 1970年、1983年、1985年 | — | 1985年 | |
| 1972年 | — | — | 1969年 | |
| 1973年、1982年 | 1976年 | — | — | |
| 1974年、1976年、1980年 | 1980年 | — | — | |
| 1979年、1984年、1988年、1991年 | 1979年 | — | — | |
| 1983年 | 1977年、1978年 | — | — | |
| 1985年 | 1988年 | — | — | |
| 1986年 | 1986年、1987年、1992年 | — | 1981年 | |
| 1989年、1993年 | 1989年 | — | — | |
| 1992年、1994年 | 1990年、1994年 | — | 1986年、1987年 | |
| 1995年 | 1995年 | — | — | |
| 1996年 | 2000年(IRL) | — | — | |
| 1999年 | 1998年(IRL) | — | — | |
| 2000年 | 1999年(CART) | — | 2007年 | |
| 2003年 | 2000年、2001年(CART) | — | — | |
| 2005年 | 2005年(IRL) | — | — | |
| 2006年 | 2001年、2002年、2006年(IRL) | — | — |
[編集] 日本人ドライバーとINDY500
1991年ヒロ松下の参戦後、数多くの日本人ドライバーが挑戦しており、最高位は2003年に高木虎之介が記録した5位。以下参戦ドライバーと決勝順位を記載する。
- ヒロ松下 1991年 16位、1992年 DNQ(予選中の怪我による)、1993年 18位、1994年 14位、1995年 10位
- 桃田健史 1992年 DNQ
- 松田秀士 1994年 24位、1995年 15位、1996年 8位、1999年 10位、2000年 DNQ(予選中の怪我による)
- 服部茂章 2001年 DNQ、2002年 20位、2003年 30位
- 中野信治 2003年 14位
- 高木虎之介 2003年 5位、2004年 19位
- ロジャー安川 2003年 10位、2004年 10位、2005年 18位、2006年 16位、2007年 21位、2008年 DNQ
- 松浦孝亮 2004年 11位、2005年 17位、2006年 15位、2007年 16位
- 武藤英紀 2008年 7位、2009年 10位
[編集] テレビ放送
- 日本では、かつてTBSやテレビ朝日で全国放送されていたが、現在は地上波では後日、深夜に日本テレビでダイジェストが放送される。衛星放送ではGAORAが生中継している。なおGAORAではインディカー・シリーズを全戦放送している。アメリカではABCが毎年生中継をしている。
[編集] エピソード
[編集] 優勝者は牛乳を飲む
インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという習慣がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝をし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が牛乳会社の目に止まり、それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった。(1947年から1955年までの間を除く)
唯一この習慣に従わなかったのがエマーソン・フィッティパルディで、1993年の優勝時には自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳の代わりにオレンジジュースを一気飲みした[1]。ただ一方でこの行為が「伝統に対する敬意に欠ける」として、フィッティパルディは後に一部のファンから非難を浴びた。
[編集] アナウンス
レース開始前のエンジン始動の有名なアナウンス「(A(One) lady/Ladies and) gentlemen, start your engines!」は、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを所有するハルマン家の当主マリ・ハルマン・ジョージが行っている。
元々はマリの父であるトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、1977年に死去し、翌1978年からはトニーの妻でありマリの母であるメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった。しかしメアリーも1998年4月に死去。それにともない、1998年からは娘のマリが引き継いでいる。ただし1982年と2007年はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている。
かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、アナウンスの台詞は「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動してください)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、台詞は「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加するようになった現在では台詞も複数形に改められ「Ladies and gentlemen, start your engines!」となっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- インディ500公式ウェブサイト - 英語
- インディアナポリス・モーター・スピードウェイ公式サイト - 英語
[編集] 脚注
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