京成バス船橋営業所
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京成バス船橋営業所(けいせいバスふなばしえいぎょうしょ)は、船橋市南東部、習志野市、千葉市美浜区の路線を受け持っている営業所である。現在、花輪車庫(千葉県船橋市宮本)と茜浜車庫(千葉県習志野市茜浜)の2車庫にて運営されている。
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[編集] 沿革
[編集] 起源
船橋営業所の路線の起源は、地元の個人事業者である白井保四郎(事業者住所:谷津、営業所:薬園台)により1927年に運行が開始された京成津田沼駅~国鉄津田沼駅~大久保~実籾(実籾停留所の場所不明)、国鉄船橋駅~津田沼十字路~薬円台~大和田(大和田の場所不明)および大和田新田(現・新木戸)~平戸の3線である。「全国乗合自動車総覧」(鉄道省, 1934)によれば当時の車庫は二宮町薬円台二二三である。その後1935年に習志野乗合自動車に法人化されるが、翌々年の1937年1月20日に京成電気軌道(京成電鉄の前社名)が同社を買収し、習志野営業所(のちの新京成電鉄による習志野営業所とは別のもの)が新設された。
「京成五十五年誌」によれば、同年12月に津田沼に車庫が新設(習志野車庫、後の新京成電鉄および習志野新京成バスの習志野車庫とは別)されたとある。同書に具体的言及がないが、同車庫の完成に伴い営業所を津田沼に移転したと見られる。車庫の場所は、「京成電鉄85年のあゆみ」によれば京成津田沼駅北側となっているが、おそらく国鉄津田沼駅北側の津田沼十字路の北、現在の東部公民館停留所の西側にあった車庫と見られる(「京成津田沼駅」北側との記述は間違いではない)。その後、神崎線が木下駅まで延長され、戦後を迎えることとなった。
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花輪車庫所属車両 |
花輪車庫所属車両 |
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[編集] 戦後の路線拡張
戦後については、1950年の千葉線(船橋駅~津田沼十字路~広尾~長沼~穴川十字路~京成千葉駅、1954年に広尾線と改称)の開通をきっかけに、畑線(船橋駅~津田沼十字路~三山新田~実籾駅~畑小学校~穴川十字路~京成千葉駅)、四街道線(船橋駅~広尾~長沼~小深~四街道駅)、翌1950年にはヘルスセンター線(船橋駅~船橋ヘルスセンター)と新路線が開通していった。ヘルスセンターを除けば、ここまでは比較的距離の長い路線について充実が図られた時期と言える。
その後、1959年に営業所が花輪に移転され船橋営業所と改称されて今に至っている。ただし、京成五十五年史には「1957年:花輪操車場新設」とあり、国土地理院の実際にこの場所にバスが出入りしていたのはそのときからのようである。なお、「京成電鉄85年のあゆみ」に掲載された写真の背景および、国土地理院による空中写真を見る限りでは今の花輪車庫と同一場所のようである。花輪に車庫が新設されたのは、路線の拡張に伴い、習志野車庫が手狭になったことが要因であろう。この時期に、新京成電鉄が運行していた市内線(船橋駅南口を起終点とした循環線)を引き継ぎ(引き継ぎ後は、西船橋駅~船橋駅~花輪車庫、現在は船橋駅以西のみ)、葛飾線(西船橋駅~昌行寺入口、市川営業所の葛飾行田団地線参照)、久々田線(津田沼駅南口を起終点とした循環線、現在は廃止)といったローカル線を次々と開通していった。また、大久保線についても、日本大学津田沼校舎(現・習志野市泉町)の新設や三山地区の人口増加により二宮神社、県営住宅、大久保四丁目への便の新設が図られた。増便に伴い、大久保停留所(現・日本大学生産工学部前)の東側の停留所近くに大久保操車場も作られた。その後には大久保公団線(津田沼駅~大久保十字路~大久保一丁目(現・大久保団地))や屋敷線(津田沼駅~屋敷町(現・屋敷一丁目))の新設が行われた。このように、花輪操車場新設の1957年から実籾線(船橋駅~津田沼駅~実籾駅~八幡製鉄棒~前・東習志野二丁目、大久保線参照)が新設された1963年までの間はローカル線を中心とした路線の充実が図られた時期と言える。なお、船橋営業所開設後、それまでの習志野営業所は津田沼操車場としてしばらくの間運用を続けることとなった。
[編集] 船尾車庫および三山操車場(車庫)・茜浜車庫の開設
その後、1970年になると京成電鉄は組織改正により自動車本部を設置し、バス部門の輸送体系の抜本的な変更を行った。船橋営業所においては、神崎線における船尾車庫および大久保線における三山操車場(通称:三山車庫)の新設である。それまで、車庫または大規模な操車場は船橋と津田沼にしか無かったが、郊外に大規模な車庫等を置くことで運用の効率化が図られた。これと同時に、それまで原則として船橋駅を起点としていた長距離路線(広尾線、畑線、四街道線、大和田線、神崎線)はすべて津田沼駅発着に短縮された。同時に、船橋駅を発着するものはすべて三山車庫に行くことになった。
これらの車庫等が開設された時点で津田沼操車場と大久保操車場は閉鎖された。しかし、それでは神崎線や千葉方面の車の行き場が無くなるので、代替操車場として津田沼二丁目(当初の停留所名は津田沼駅入口)の操車場(後述するが、現在は習志野企業局近くに移転)が割り当てられた(1970年に袖ヶ浦団地線が津田沼駅南口発着となり、津田沼駅入口の折返場が空き地となったものを転用した。)要約すると、船橋営業所は昭和45年頃に大久保線各線と神崎線という2つの主幹を中心に抜本的な路線の改変があったということである。 さらに1981年に幕張本郷駅の開業・90年代の京葉線開通や幕張新都心の発展に対応すべく1994年に習志野市茜浜に車庫を新設し幕張新都心エリアの路線を一手に引き受けることとなる。
[編集] 現行路線
[編集] 大久保線・東船橋線・東習志野線
- 津01:津田沼駅~藤崎~(東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路)~三山車庫
- 津02:津田沼駅~藤崎~(東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路)~二宮神社
- 津03:津田沼駅~藤崎~大久保四丁目~日大実籾
- 津21:津田沼駅~済生会習志野病院~三山車庫~八千代台駅西口
- 船41:船橋駅(京成船橋駅)~東船橋駅~津田沼駅
- 津31:津田沼駅~ユトリシア~東電前~花見川車庫~八千代台駅東口
- 津31:津田沼駅~ユトリシア
- 津32:津田沼駅~新津田沼駅~習志野企業局
- 大正末期:[岩佐峯吉]国鉄津田沼駅~大久保方面が開通(詳細不明)。
- 1927年3月11日:[白井保四郎]京成津田沼駅~国鉄津田沼駅~大久保(現・大久保十字路)~実籾(場所不明)が開通。
- 1935年7月15日:[習志野乗合]習志野乗合自動車となる。
- 1937年1月20日:[京成]京成となる。
- 1950年1月1日:千葉線(船橋駅~津田沼十字路~大久保十字路(当時は大久保と呼称?)~大原神社~広尾~長沼~穴川十字路~京成千葉駅)が開通。国鉄津田沼駅非経由。
- 1954年4月1日:畑線(船橋駅~津田沼十字路~大久保(現・日大生産工学部および東邦大学付属東邦中学校・高等学校付近)~三山新田(現・三山車庫より先の三叉路を実籾側にいったすぐのところ)~実籾駅~畑小学校~京成千葉駅)が開通。千葉線が広尾線と改称。津田沼駅非経由。
- 1954年8月1日:四街道線(船橋駅~津田沼十字路~大久保~大原神社~広尾~長沼~四街道駅)が開通。津田沼駅非経由。
- 1957年頃:現・大久保線が開通。区間は船橋駅~津田沼十字路~津田沼駅~[日大前(現・日大生産工学部)または二宮神社または県営住宅]、船橋駅~日大前~実籾駅~東習志野~高津新田~八千代台駅、船橋駅~津田沼十字路~大久保十字路~大久保四丁目(国立病院非経由)。広尾線、千葉線、四街道線などの長距離路線は津田沼駅非経由のまま。日大前、二宮神社、県営住宅、八千代台駅の4便は往路が国立病院経由(畑線も国立病院経由)。
- 1959年4月13日:大久保公団線(津田沼駅~大久保十字路~大久保二丁目(千葉興銀交差点の50mほど南、なお当時は旧道だったので今の歩道あたりが車道だった。)~大久保駅(北側)~大久保一丁目(現・大久保団地))が開通。1970年頃まで運行。
- 1963年11月1日:実籾線(船橋駅または津田沼駅~大原神社~実籾駅~八幡稲荷神社(現・東洋の東習志野二丁目)~東習志野二丁目(現・東習志野八丁目)が開通。
- 1967年頃:津田沼駅~八幡溶接棒(現・日鉄溶接)が開通。
- 1967年頃:日大前~習志野原~日大理工学部が開通。
- 1969年8月20日:畑線、広尾線が前・京成千葉駅西口ターミナル発着、中央四丁目経由に変更。
- 1970年頃:三山車庫新設に伴い、県営住宅発着便が三山車庫まで延長。八千代台便は三山車庫~実籾三叉路~東習志野~高津新田~八千代台駅に変更。三山車庫発着便以外がすべて津田沼駅(または津田沼十字路、ただし花輪出入のみ)発着となる。日大前~日大理工学部線は三山車庫~日大理工学部に短縮(以後、北習志野線の線名で呼ばれることもあった)。
- 1978年頃:広尾線が津田沼駅~広尾十字路~草野車庫に短縮され、畑線が大原神社経由に変更。津田沼駅~大久保四丁目~東電前~京成ガード際~八千代台駅東口が開通。四街道線を含めてこれらが千葉三線となる。三山車庫~八千代台線は廃止。
- 1980年頃:日鉄溶接便が東習志野八丁目経由八千代台駅西口まで延長。実籾線は廃止。
- 1981年10月1日:船橋便が東船橋駅経由となる。
- 1982年4月1日:津田沼駅~習志野企業局が開通。
- 1984年頃:大久保四丁目発着便を日大実籾まで延長。東行も習志野警察経由となる。
- 1985年頃:広尾十字路発着便がさつきが丘団地まで延長。
- 1989年:柏井高校線(津田沼駅~長作町~長作新田~団地東口~柏井高校)を開通。
- 1991年6月12日:草野車庫発着便がスポーツセンター駅まで延長(1996年4月27日廃止)。千葉中央駅発着便が稲毛駅経由草野車庫までに変更(その後廃止、廃止日不明)。どちらも長沼営業所担当に変更となり、津田沼線となる。四街道、さつきが丘団地、東電経由八千代台線を合わせて四・八線となる。
- 1995年頃:柏井高校線が廃止。
- 1996年7月1日:四街道線が廃止。さつきが丘団地、東電経由八千代台を合わせて東習志野線となる。
- 1999年5月29日:さつきが丘団地便が廃止。津田沼十字路発着便がなくなり、すべて津田沼駅発着となる。日大理工学部前-三山車庫便を廃止、津田沼駅-千葉日大第1中高間の各停便を廃止。
- 2003年5月16日:三山車庫系統が津田沼駅で分割される。船橋駅~津田沼駅間は東船橋線に線名変更。
- 2004年3月16日:津田沼駅~千葉日大第一小中高間の急行バスを廃止。
- 2006年7月18日:「済生会習志野病院」バス停新設。これに伴い大久保線のルート変更。
- 2009年4月1日:東習志野線が感動大陸ユトリシアに乗り入れ開始。
[編集] 成立時
大久保線は習志野営業所時代からある古い路線である。当初は京成津田沼駅または谷津からを起点としており、津田沼駅を経由したのちに東金御成街道(現、県道船橋長沼線、以下同じ)藤崎、大久保、実籾に至った。その後、時期は不明だが、神崎線と同じく船橋駅から発着するようになる。戦後、千葉線(長作・広尾・長沼・穴川経由、畑線開通に伴い広尾線)が開通したのをきっかけに、畑線(三山・実籾駅・長作・畑・穴川経由)、四街道線も開通し、海岸線、神崎線と並ぶ船橋営業所の大動脈となった。この頃の詳細なルートは不明だが、大部分の便が東金御成街道を直進していたと考えられる。広尾線、四街道線の開通により、実籾折返便がどうなったかは不明である。
畑線は三山を経由するため、東金御成街道から北上(または同道に南下)しなくてはならなかったが、当時のルートは不明である。昭和30年当時は、八幡公園付近西側に道路が全くなかった(旧道もなかった)ため、ここは通らず、別の道路を通っていたようである。
[編集] 日大の移転および大久保公団線の開通
現在のように大久保線が莫大な本数になった時期は、昭和30年代ということ以外は不明である。船橋市統計書にも習志野市統計書にもデータがない。昭和30年代の顕著なトピックとして、1957年に日本大学の一部が今の習志野市泉町に移転(津田沼校舎)したことが上げられる。当時は、今ほど大規模ではなかったにせよ、これにより津田沼からの通学手段の増強を迫られたのは間違いなく、1957年頃が大久保線増発の時期かもしれない。ちなみに、八千代台駅の開設は1956年であり、それから程なくして同駅までのバスも運行開始(実籾駅経由)された。新京成電鉄(現・習志野新京成バス)による三山線(大久保~田喜野井~船橋駅または津田沼駅)の開通は1958年である。
なお、当時の日大前(現・日大生産工学部および東邦大学付属東邦中学校高校)→大久保十字路に関しては現在の2車線の道路ではなく、その西側直近の旧道(現在は車両通行不可)を走っていた。(従って、習志野警察→日大前はクランク状に運行していたことになる。)
1959年4月13日には大久保公団線(津田沼駅~大久保十字路~大久保一丁目)が開通した。この路線は大久保十字路(大久保商店街との交差点)を過ぎると、さらに東の交差点(現在、習志野警察署と京成線路とを結ぶ市道)を南下し、大久保二丁目(現在廃止)および映劇前(習志野劇場、線路の南側に映画館があった)停留所を経由し、さらに大久保駅の踏切を渡り(大久保駅前にも停留所があった)大久保駅南口で合流後、今の大久保団地まで至る路線だった。この路線が走っていた頃は大久保十字路~映劇前間の道路も非常に狭かった。なお、当時の終点の停留所名は「大久保一丁目」である。当時は今の本大久保1~3丁目のほとんどすべて(一部を除く)が「大久保一丁目」であり、一番はずれの停留所になぜかこの名前がついた。昭和42年頃に住居表示変更され京成線の南側はすべて本大久保となったので、停留所名は大久保公団に変更。その後、屋敷線だけの停留所となったが、保健所→大久保団地と変更になっている。
その大久保公団線は開通当時はそれなりに便利だったと推測するが、わずか1年後に屋敷線が開通し、津田沼駅のみならず京成津田沼駅への足さえ確保されたため、多くの乗客がこれを利用し、わずか10年余りで廃止になったことはちょっと寂しい限りである。なお、大久保公団線はすべて津田沼駅を始発とし、船橋駅発の便はなかった。
その後、1962年度については、「全国バス路線便覧 昭和39年度版(全国旅客自動車要覧編集室, 書名は39年度だが、データは昭和37年度)」によれば、船橋駅または津田沼駅を始発として、「大久保行き」「二宮神社行き」「県営住宅行き」「大久保四丁目行き」「八千代台駅行き」の4系統(長距離線、公団線を除く)が運行されていたことがわかる。二宮神社に関しては今とほとんど同じであると判断される。県営住宅行きは、市営住宅(当時は千葉荘前)を過ぎると三叉路を二宮神社側に進み、少し行ったところで右折して県営住宅停留所に向かっていた。
大久保四丁目行きは開通当時の状況は不明だが、少なくとも昭和40年代以降は国立病院を経由せずそのまま大久保十字路に向かい、さらに東に進んで軽便鉄道跡(マラソン道路)の交差点を北上し、終点に至った。なお、大久保四丁目終点停留所は今の停留所の場所ではなく、大久保四丁目の交差点のわずか南にあった。バスが一台だけ入れる折返場が軽便鉄道跡(現・マラソン道路)に設けられ、必ずそこに立ち寄っていた。
[編集] 市内線(船橋駅~南船橋駅)
- 船71:船橋駅(京成船橋駅)~海老川~ららぽーと~南船橋駅
- 船72:船橋駅→船橋競馬場駅→ららぽーと→ららぽーと東口→南船橋駅(夜のみ)
- 船72:南船橋駅→ららぽーと東口→船橋競馬場駅→京成船橋駅(朝のみ)
- 1955年11月5日:船橋駅~ヘルスセンター入口(現・海老川)~ヘルスセンターを開通。当初は往復運行。
- 時期不明:船橋駅→競馬場→ヘルスセンター→海老川→船橋駅に変更。
- 1969年6月:若松町団地線(センター競馬場前駅~若松町団地(のち若松団地、線名も若松団地に変わった))を開通。
- (この間に、ヘルスセンター閉鎖、プール施設のゴールデンビーチのみ営業、ゴールデンビーチ閉鎖を経たがルートは同じ。)
- 時期不明:市内線・若松団地線と統合し、西船橋駅→船橋駅→競馬場→ららぽーと→ららぽーと東口→若松団地および若松団地→ららぽーと→劇場前→海老川→西船橋駅となる。線名が市内線となる。(多くの便が船橋駅折返し)
- 時期不明:ららぽーと開業により区間便増発。
- 1986年3月3日:若松団地付近を廃止し、南船橋駅折返しに変更。
- 1991年7月15日:西船橋駅~船橋駅と船橋駅~南船橋駅に分割し、ほとんどの便が往復とも海老川経由となる。競馬場経由はららぽーと非経由に変更の上、朝夜だけとなる。
- 時期不明:船橋競馬場駅~南船橋駅の区間便を開通。
- 1997年10月4日:船橋競馬場駅~南船橋駅の区間便を廃止。
船橋駅~ららぽーと~南船橋駅間を走るこの路線には市内線の名が付されている。ただし、この線の開通時は「ヘルスセンター線」という別の路線名がついており、線名通り船橋ヘルスセンターへの足となっていた。今のららぽーとTOKYO-BAYの前身である。ヘルスセンター開通当初は海老川経由の往復運転(今の昼行便に類似)だったが、その後、船橋駅→競馬場→ヘルスセンター→海老川→京成船橋駅という循環線に変わった(現在、競馬場停留所が南船橋行き側しかないのはその名残である)。なお、昭和30年代後半、昭和40年代前半には、市川駅~ヘルスセンター線もあった。
その後ヘルスセンターは、諸般の事情のため1977年5月に閉場し、1981年、ららぽーとに衣替えとなった。衣替えには4年を要しているが、その間にも旧センターに隣接して、流水プールであるゴールデンビーチが夏期に営業するなど、何も無かったわけではなく、この循環線も継続された。
これとは別に、1969年に若松町団地線(センター競馬場駅(現船橋競馬場駅)~若松団地(南船橋駅の近く、開業当時は若松町団地と呼んでいた))という路線が開通した。この当時は京葉線が無く、若松(町)団地には鉄道駅へのアクセス手段としてバス路線が必要だった。その後、前述のゴールデンビーチが閉鎖された頃にゴールデンビーチ循環線とこの若松団地線が統合されることとなり、さらに市内線(西船橋駅~花輪車庫、当時)とも統合して西船橋駅~船橋駅~海老川~センター事務所前(現・ららぽーと)~若松団地という往復とも海老川を経由する路線になった。その際、湊町一丁目~競馬場間にセンター競馬場駅入口停留所が新設された(その後、同駅折返場を発着する路線バスが無くなったため、現在、この停留所は船橋競馬場駅と改称されている。)。その後、ららぽーとが開業し、船橋駅~ららぽーとの臨時バスが運行されるようになった。センター競馬場駅~ららぽーと間でも無料バスの運行が開始された。これにより、センター競馬場駅~若松団地線は廃止された。
ららぽーとの開業当初は今ほど道路も混雑していなかったために運行本数も多く、休日は臨時直通バスが多数出ていた。しかし、年を追う毎に、ららぽーとへは自家用車で訪れる客が増えてきた。また、国道14号線および船橋競馬場駅~ららぽーと間の道路も渋滞が激しくなり、定時運行は困難になってきた。その後、大半の便を往復とも海老川経由に変更する等の改善策を図ってきたが、乗客の減少は止まらず、減便となった。
なお市内線のところでも触れたが、現在は船橋駅を境に再び分割されている。また、京葉線開業により南船橋駅が開業したために、この路線の若松団地側はこの駅を経由するようになったが、若松団地と南船橋駅は目と鼻の距離であるために、駅までに短縮された。なお、現在は南船橋駅~ららぽーと間にも無料バスがある。
[編集] 市内線(西船橋駅~市役所~船橋駅)
- 西船11:市役所~海神駅入口~西船橋駅
- 西船11:船橋駅(京成船橋駅)~市役所~西船橋駅
- 西船12:船橋駅(京成船橋駅)~海神駅入口~西船橋駅(市役所非経由)
- 1958年12月10日:新京成船橋循環線の免許を譲り受け、ルート変更の上、西船橋駅~船橋駅~大神宮下~花輪第二車庫(停留所名:花輪車庫)を開通。
- 時期不明:ららぽーと線と統合し、西船橋駅~船橋駅~(海老川または競馬場)~若松団地線を開通。
- 1986年3月3日:若松団地付近を廃止し、南船橋駅折返しに変更。
- 1991年7月15日:花輪車庫~船橋駅間を廃止。西船橋駅~南船橋駅の直通を廃止し、分割運行となる。
船橋市内線はもともと新京成電鉄が開通させたもので、当時は船橋市内循環線と呼び循環運転をしていた。その後、西船橋駅の開通に伴う営業エリアの見直しで京成がこれを引き継ぎ、西船橋駅~花輪車庫とした。この際に当時京成が運行していた津田沼駅~新木戸線を(すなわち、神崎線や大和田線のうち津田沼駅~新木戸間の折返便だけを)新京成電鉄に譲渡している。
開通当初は本数も多く、電車と違って本町通りの商店街に容易にアクセスできることから利便性も高かった。しかし、昭和40年代頃より、船橋駅~駅前十字路間の道路渋滞がひどくなり、定時運行が難しくなった。特に、船橋駅~花輪車庫間は鉄道の方が圧倒的に有利な状況となった。この区間が廃止になったのは1991年であるが、実際にはこれより前に減便に次ぐ減便を繰り返し、廃止時は1時間に1本程度しか走っていなかった。なお、本町通り(海神5丁目経由)のルートについては、総武線複々線化後陸橋で越す事となったが用地制約から急勾配となったため、冬期になると路面凍結によりバスが通過出来ないという事態も発生した事から昭和50年頃には廃止となっている。
その後の残っている区間にしても、船橋駅側に入ると定時性が確保できなくなるため、1997年の改正より市役所の折返しを大幅に増やすこととなり、現在(2005年)に至っている。
[編集] 柏井線
- 中山01:下総中山駅~本北方三丁目~船橋法典駅入口~柏井四丁目~市営霊園
- 中山01:下総中山駅~本北方三丁目~船橋法典駅入口~柏井四丁目~市営霊園~保健医療福祉センター(昼間のみ)
- 中山01:西船橋駅~下総中山駅~中山駅入口~本北方三丁目~船橋法典駅入口~柏井四丁目~市営霊園(市営霊園方向朝のみ、西船橋方向夜のみ)
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- 昭和:市川車庫~中山駅~若宮~柏井~大野(正確な場所不明)が開通。のち、中山駅~柏井~大柏~大町(現・大町公民館)も運行が開始された(詳細不明)。
- 1958年12月20日:西船橋線(市川車庫(現・八幡車庫)~中山駅~若宮小学校~古作~西船橋駅)が開通。
- 1959年7月20日:前・鎌ヶ谷線(市川車庫~中山駅~若宮小学校~柏井~柏井本村~東武鎌ヶ谷駅、今のレインボーの鎌ヶ谷線とは無関係)が開通。
- 昭和40年代:西船橋線が西船橋駅~中山駅入口~若宮小学校~北方十字路~古作~西船橋駅に変更。西船橋循環線となる。
- 昭和40年代:中山駅~柏井四丁目~市川霊園(現・市営霊園)および中山駅~柏井~浜道~迎米坂下(現・市川大野駅)に変更。(注:市川霊園短縮と迎米坂下短縮が同時かどうか不明。)
- 1979年8月28日:柏井線が西船橋駅~中山駅入口~柏井四丁目~市川霊園および西船橋駅~中山駅入口~浜道~市営霊園に変更。西船橋循環線が大幅減便。
- 1999年8月1日:浜道経由便の廃止。西船橋循環線が左回りのみとなる。
- 2004年11月1日:西船橋循環線の廃止。
- 2009年4月1日:ルート変更。渋滞回避及び利便性の向上のため北方十字路を通行するルートを廃し、北方町4丁目地区及び船橋法典駅を通行するルートに改められた上で増便される。
柏井線は下総中山駅から柏井地区および市営霊園に至る路線である。朝夕のみ西船橋駅発着便があり、昼間のみ市営霊園を経て保健医療福祉センターまで乗り入れる。なお、船橋法典駅周辺で一方通行路を走行する関係で、下総中山駅方向行きが同駅周辺を一周するルートをたどる。2004年11月より2009年3月まで、全区間が、この路線の独自区間となっており特徴の一つに挙げられる。
開通は古く戦前にさかのぼり、国鉄(JR)の中山駅(駅名は下総中山だが、京成の停留所名は「中山駅」)を起点として大野(詳細不明)まで至っていた路線を京成が買収した。その後、大町まで延長もされた。戦後になると、柏井から北側(今の柏井四丁目方面)に分岐して東武鎌ヶ谷駅に至る鎌ヶ谷線が開通し、二本立てとなった。しかし、柏井四丁目~東武鎌ヶ谷駅間は結局廃止となり。市営霊園への路線の付け替えという形で短縮されることとなった。なお、京成五十五年史の路線一覧(1966年)では鎌ヶ谷線が存在しているので、短縮はそのあとである(市川市営霊園の開設は1962年10月)。
長らく市川営業所が担当してきたが、2008年に船橋営業所に移管された。
2004年のダイヤ改正で減便された。しかし地元団体から増便運動があったことにから、京成バス及び市川市も含めた検討会が行われ、この路線の再編案が検討された[1]。その結果、2009年4月1日から一部ルートを変更し増便を行うこととなった。
[編集] 谷津パークタウン線
- 津71:津田沼駅~谷津七丁目~谷津二丁目~谷津パークタウン~谷津干潟
- 1928年8月6日:[千葉バス]船橋駅~大神宮下~浜宿~稲毛海岸~登戸海岸~千葉駅を開通。
- 1930年5月10日:[京成乗合]京成乗合となる。
- 1934年3月1日:京成となる。のち、海岸線と呼称する。
- 1953年頃:海岸線が船橋駅~花輪車庫~登戸海岸~大学病院に延長。
- 1958年12月20日:久々田線(津田沼駅南口~(東福寺付近)~火の見前(現・向山小学校)~浜宿~久々田(現・津田沼六丁目)~前・京成津田沼駅(駅の北側)~津田沼駅南口)を開通。
- 1960年8月1日:屋敷線開通に伴い、久々田線を津田沼駅南口~火の見前~浜宿~久々田~市役所入口に変更。
- 1969年1月:海岸線を船橋駅~花輪車庫~浜宿~鷺沼三丁目(現・袖ヶ浦団地停留所の近く)に短縮。鷺沼線となる。
- 1970年頃:鷺沼線が津田沼駅南口~火の見前~浜宿~鷺沼三丁目に変更。久々田線は廃止。
- 1973年12月5日:鷺沼線を津田沼駅南口~谷津二丁目~鷺沼三丁目~学校前(現・幕張西中学校)~幕張一丁目(現・幕張西二丁目)に延長。ワンマン化。
- 1991年3月29日:谷津線(津田沼駅→津田沼中央病院→谷津二丁目→谷津七丁目→津田沼駅および津田沼駅~谷津七丁目~浜宿~神之台~新習志野駅)を開通。鷺沼線は出入庫線となり、谷津二丁目~浜宿~鷺沼三丁目~幕張西中学校~幕張本郷駅に変更。
- 1998年11月16日:谷津線を津田沼駅~谷津七丁目~谷津二丁目~谷津干潟に変更。谷津パークタウン線となる。循環線および新習志野駅発着便は廃止。
- 1998年12月10日:鷺沼線を廃止。
谷津パークタウン線は津田沼駅と谷津駅近くの谷津パークタウン地区・谷津干潟を結ぶ短距離路線である。谷津パークタウン線としてスタートを切るにあたり、津田沼駅を除く全ての停留所に番号が付けられた。一番北の谷津七丁目が1であり、最後の谷津干潟が6である。谷津干潟停留所は、文字通り谷津干潟が目の前にあり、この場所でも観光はできる。ただし、資料館でもある谷津干潟自然観察センターは干潟の反対側にあり、ここには津田沼高校停留所、または、はなみずき橋停留所の方が近い。
この路線自体は1998年11月の開通で、比較的新しい路線であるとも言えるが、実際には、上記年表のように、その前身に谷津線があり、さらに、鷺沼線、久々田線、海岸線と遡ることができる。これらの路線は国道14号線を走ることを特徴としており、歴史こそ長いが、運行頻度はあまり高く無かった。鷺沼線については、幕張西地区が陸の孤島だった頃、鉄道駅に至る手段として重宝がられ本数も多かったが、幕張本郷駅の開業によりその意義を失った。総じて、鉄道が便利になったことにより線路に垂直な部分だけが残ったと言えるだろう。
[編集] 屋敷線
- 津61:幕張西五丁目→幕張西二丁目→幕張本郷駅→屋敷→京成津田沼駅入口→津田沼駅
- 津62:津田沼駅~京成大久保駅南口~屋敷~幕張本郷駅~幕張西二丁目~幕張西五丁目
- 1960年10月1日:津田沼駅【北口】~京成津田沼駅(駅の北側)~鷺沼四丁目~京成大久保駅~屋敷町(現・屋敷一丁目)を開通。
- 1970年:津田沼駅南口発着に変更。
- 昭和50年代:津田沼駅行のみ前・京成津田沼駅入口(京成津田沼駅西側坂上近くの陸橋上)経由となる。
- 昭和50年代:車両工場停留所を移設し、京成津田沼駅とする。前・京成津田沼駅、前・京成津田沼駅入口停留所は津田沼三丁目と改称。
- 1981年10月1日:津田沼駅~屋敷~幕張本郷駅~幕張一丁目(現・幕張西二丁目)~学校前(現・幕張西中学校)に延長。
- 1991年3月29日:幕張西中学校、幕張本郷駅行のみ津田沼中央病院(現・津田沼中央総合病院)経由となる。
- 1995年3月:往復とも津田沼中央病院経由となる。
- 2000年4月1日:津田沼駅~屋敷~幕張西五丁目に延長。
- 2008年5月10日:津田沼駅発については全便津62系統として運行し、京成大久保駅南口ロータリーへの乗入れ開始。
津田沼駅南口から京成の線路に並行して京成大久保近傍まで走り、屋敷地区を抜けたあとで、幕張本郷駅に入る路線である。出入庫において幕張西五丁目発着便が、出庫便において幕張西二丁目発便がある。この路線は1960年10月に開通し、鷺沼、鷺沼台、本大久保、屋敷、幕張本郷とほとんどの区間が単独区間となっているが、実はこれより1年半前の1959年4月13日に、津田沼駅~藤崎~大久保駅~大久保一丁目(現・大久保団地)間が開通(大久保公団線)しており、大久保駅~大久保一丁目間が重複していたことがある。大久保公団線との併走期間は10年程度続いたが、結局屋敷線だけが残ることとなった。
屋敷とは地名である。変わった地名だが、当初は今の屋敷入口、屋敷一丁目付近にだけ住宅が存在し、これらに隣接する窪地はすべて田んぼであった。この路線も、当初は今の屋敷一丁目が「屋敷町」として終点であったが、その後、窪地部分が徐々に住宅地として造成され、一旦、終点が今の屋敷まで延長された。幕張本郷駅(実際には幕張西中学校まで、なお当時の停留所名称は「学校前」)まで延長されたのは、同駅の開業に伴うものである。
[編集] 袖ヶ浦団地線
- 津41:津田沼駅~管理事務所~袖ヶ浦団地
- 津42:津田沼駅→管理事務所→第三中学校→団地中央→津田沼高校
- 1967年:津田沼駅入口(のち津田沼二丁目)~久々田(現・津田沼六丁目)~管理事務所~袖ヶ浦団地を開通。
- 1970年:津田沼駅南口~津田沼六丁目~袖ヶ浦団地に延長。
- 1991年3月29日:袖ヶ浦団地行のみ津田沼中央病院(現・津田沼中央総合病院)経由となる。
- 1995年3月:往復とも津田沼中央病院経由となる。
- 1998年11月16日:深夜バスのみ津田沼駅→第三中学校→津田沼高校線を開通。
千葉県の特色に埋立地が多いことが挙げられる。千葉市南部や木更津市、川崎市などは工業用地となっているが、習志野市の場合は住宅地が中心である。袖ヶ浦地区は昭和42年に習志野市第一期埋立地として作られ、その交通手段としてこの線が開業した。現在は第三中学校から新習志野駅へ通じる陸橋が完成し、最寄り駅が津田沼ではなくなったが、それにより影響はあまり大きくないようである。
この路線は開通当時、千葉工業団地正門のやや東側に「津田沼駅入口」停留所を設け、そこを起点にしていた。その後、昭和45年3月に津田沼駅南口が整備されたのをきっかけとして、屋敷線と同時に津田沼駅南口発着となった。(津田沼駅入口停留所は「津田沼二丁目」と改称したがその年月日は不明。)さらに、数回のルート変更、停留所名変更を経て今のようになっている。
深夜バスに限り第三中学校から陸橋経由で津田沼高校に至るルートとなり、秋津団地への足ともなっている。
[編集] 秋津団地線
- 津51:津田沼駅~秋津小学校~香澄六丁目~新習志野駅
- 津53:谷津二丁目~向山小入口~秋津小学校~新習志野駅
- 津52:津田沼駅~京成津田沼駅~臨海工業団地~新習志野駅
- 1980年3月23日:秋津団地線(津田沼駅~谷津七丁目~津田沼高校~第七中学校~秋津団地(現・香澄六丁目のやや南東)を開通。
- 1982年3月16日:津田沼駅~香澄(現・香澄二丁目)を開通。秋津団地停留所を秋津・香澄団地と名称変更。秋津香澄線となる。
- 1986年3月3日:津田沼駅~谷津七丁目~団地中央~新習志野駅~団地中央~第七中学校~香澄二丁目~幕張コーポ前~幕張本郷駅に延長。ただし、新習志野駅折返便の一部は第七中学校・香澄六丁目経由となる。
- 1991年3月29日:津田沼高校経由便が津田沼中央病院(現・津田沼中央総合病院)経由となる。津田沼駅~京成津田沼駅(現・京成津田沼駅入口)~袖ヶ浦団地入口~臨海工業団地~新習志野駅線の開通。
- 1995年3月:臨海工業団地経由便が往復とも津田沼中央病院経由となる。
- 1999年5月29日:秋津団地線(新習志野駅以西)と香澄線(新習志野駅以東)に分割する。香澄線は茜浜担当となる。
袖ヶ浦団地が第一期埋立地なのに対し秋津香澄団地は第二期埋立地である。団地入居当時は袖ヶ浦から秋津・香澄へは直接道路が通じておらず、袖ヶ浦団地線とは全く別系統の路線がここに生まれた。京葉線新習志野駅があるためか、袖ヶ浦団地に比べると本数はやや少な目である。
以前は谷津二丁目をまわっており、谷津七丁目前後の道路が狭隘であることと、谷津駅付近の踏切の通過と、国道14号線を走ることで、定時走行に支障を生じていた。平成3年3月29日より、習志野市道3・3・2号線(まろにえ橋)が開通したことで、この線を含む津田沼駅発着線のほとんどの車がこちらを経由するようになったので、定時性および所要時間が改善された。
なお、まろにえ橋の開通に併せて臨海工業団地経由便が新設されている。この便は「京成津田沼駅経由」と方向幕に書いており、やや迂回したルートであるために、全線乗れば新習志野駅への到達時間が遅くなる。
以前は別項の香澄線と一緒に「秋津香澄線」として津田沼駅~新習志野駅~幕張本郷駅間を直通して走っていた。また、津田沼駅~秋津小学校~新習志野駅間折返便に限って、午前は津田沼駅行が、午後は新習志野駅行が香澄六丁目経由(方向幕は「第七中廻り」と表記)で運行していた。香澄六丁目を経由していたのは、京葉線開業前の路線で香澄六丁目付近に「秋津香澄団地終点」停留所が存在しており、経路変更による乗客への迷惑が生じないようにしたからである。しかし、新習志野駅折返便が午前午後で経路が変わるのに、幕張本郷駅発着や谷津二丁目出入庫便は香澄六丁目を経由しないなど若干わかりにくい運行の仕方であった。おまけに、津田沼駅~幕張本郷駅間の直通便について新習志野駅をまたいで利用する乗客もあまり多くなかった。そのあめ効率化を図るべく、平成11年5月28日にこの線は新習志野駅を境に分割された。同時に、東側の香澄線(幕張本郷駅~新習志野駅)については茜浜車庫担当に変更となった。なお、出入便である谷津二丁目発着便については現在でも香澄六丁目非経由である。
[編集] 香澄線
- 幕11:新習志野駅~香澄二丁目~幕張西五丁目~幕張本郷駅
- 1999年5月29日:秋津香澄線(花輪担当)を分割して、新習志野駅~幕張本郷駅を開通。茜浜担当となる。
[編集] 新都心幕張線
- 幕01:幕張本郷駅~NTT~海浜幕張駅~マリンスタジアム~医療センター
- 幕01:幕張本郷駅~NTT~海浜幕張駅~幕張メッセ中央
- 急行:幕張本郷駅→NTT→海浜幕張駅(急行)
- 幕02:海浜幕張駅→NTT→幕張本郷駅(幕張西中学経由)
- 幕03:幕張本郷駅~IBM~海浜幕張駅
- 1985年11月5日:中瀬線(幕張本郷駅~幕張西中学校~免許センター)を開通。ラッシュ時は直通便(西中学校非経由)を運行。花輪担当。
- 1986年3月3日:幕張本郷駅~免許センター~中瀬(現・NTT)~海浜幕張駅に延長。
- 時期不明:幕張本郷駅~NTT~幕張メッセ(現・幕張メッセ東口)に延長。実際には現・マリンスタジアム停留所付近まで運行していたが、スタジアムが未完成のために、末端部のみ回送。
- 時期不明:幕張本郷駅~NTT~マリンスタジアムに延長。
- 1994年4月8日:茜浜担当となる。
- 1994年9月3日:幕張本郷駅~IBM~海浜幕張駅を開通。
- 1996年6月1日:NTT経由を幕張本郷駅~NTT~医療センターに延長。
- 1998年12月10日:連節バスを導入する。急行便を新設する。
- 2004年3月11日:幕張本郷駅~NTT~海浜幕張駅~幕張メッセ中央の便が新設される。
幕張本郷駅と海浜幕張駅付近(幕張新都心)のオフィスビル等との間を輸送する路線である。この路線は1985年に千葉運転免許センターを利用するための路線(免許センター線)として開通した。1994年4月8日には習志野市茜浜に茜浜車庫が開設されたことに伴い、新都心幕張線を花輪車庫から茜浜車庫に移管された[1]。この時、茜浜車庫に配置された26台の全車両が、白地にブルーの塗りわけでカモメを配した、屋根上も高層ビルからの視認性を考慮した[1]塗装デザインとなった。これは臨海地域を表現したものとされている[1]。
その後、海浜幕張駅周辺の施設の充実に伴い、本数が増加し、茜浜車庫ができた時点ではデータイム5分おき、朝ラッシュ時は1分おきという京成バスの最頻度運行路線となった。長尺車を使用してもまだ積み残しが出てしまうようになったため、1998年12月10日より定期路線として日本初の連節バスを10台投入して現在に至っている。なお、連節バスの投入により、運行便数は若干減少した。千葉市は2009年から2011年にかけて連接バスの更新と導入台数の増加をはかり、将来はモノレール、LRT、BRTなど新たな交通システムの導入可能性を千葉県などと連携しながら調査、検討をしていくと発表している[2]。2010年2月19日より、メルセデス・ベンツ・シターロによって車両更新が開始されることになった[3]。
幕張新都心が海浜幕張駅という駅を抱えているにも関わらずこの路線がこれだけの輸送量を誇るのは、やはり京葉線に比べ総武線を利用する方が利便性が高い人が多いということである。また、幕張新都心からの総武線の最寄り駅は幕張であるが、同駅間近にバスターミナルを作ることができなかったため、若干離れた幕張本郷がアクセスポイントになってしまい、今でも輸送の主力となっていることが注目される。ラッシュ時に乗客が固まり、しかも往復の格差が著しいため、これだけ走っている割に輸送効率はやや劣るという会社の意見が雑誌で吐露されたことがある。
平日の朝ラッシュ時には幕張本郷駅から「急行」海浜幕張駅行きが半数程度運行され、連節車が集中的に投入される(一部の便に一般車による急行もある)。この急行については幕張本郷駅停留所に運賃収受ゲートが設けられ、車外で運賃を前払いし、全扉から乗車可能となっている。(かつての東京ディズニーランド直行バスがやっていた方式とほぼ同じ。)なお、この急行は幕張本郷駅を出ると、富士通まで無停車であるため、免許センターを利用する人は普通便に乗らなくてはならない。
医療センター発着便は1996年に開通し、平土のみの運行である(開通当初は平日だけだった)。マリンスタジアムから西側に走る。
この路線に限りレコーダーを使用した簡易的な英語次停案内が行われる。また2006年4月からはマリーンズ選手の案内放送も登場した。ボビー・バレンタインやベニー・アグバヤニによる英語案内もある。
[編集] 幕張学園線
- 幕21:幕張本郷駅→市町村アカデミー→イトーヨーカドー→幕張本郷駅
- 1989年1月16日:幕張本郷駅~放送大学~市町村アカデミーおよび幕張本郷駅~放送大学~海浜幕張駅を開通。
- 時期不明:ほとんどの便が幕張西第二公園経由とする。市町村アカデミー発着便が循環線となる。
- 1997年4月1日:海浜幕張駅発着便を廃止。
- 1998年12月10日:茜浜担当となる。
平成の初めに開通した線である。海浜幕張地区のこれからの発展への準備として開業した路線らしい。開業当初は循環線でなく、放送大学経由の市町村アカデミー止まりだった。その後、幕張本郷駅~幕張西第二公園~放送大学~海浜幕張駅や幕張本郷駅→(国道14号経由)→放送大学→海浜幕張駅など、海浜幕張駅に至る路線もあったが、1997年4月1日に廃止され、循環線だけとなった。
当初から利用者があまり多くなく、本数的にも少なかった。将来的に、中瀬線→新都心幕張線のように本数が増加するというのも無さそうである。開業当初は花輪車庫担当だったが、1998年12月10日の改正時に茜浜車庫担当となり、車も幕張新都心線と同じかもめカラーになった。茜浜に移管の理由は連節車導入で一般車が余ったためである。
[編集] コロンブスシティ線
- 幕22:幕張本郷駅→幕張西第三公園→浜田緑地→NTT→海浜幕張駅
- 幕22:海浜幕張駅~神田外語大学~浜田緑地~幕張西第三公園~幕張本郷駅
- 2008年9月1日:運行開始。
- 2010年1月16日:朝夕を除いた全ての便が神田外語大学経由に変更
2008年にオープンしたマンション「コロンブスシティ(マクハリタマゴ)」へのアクセスを目的に開業した。県総合教育センター付近の交差点の制約(神田外語大側から海浜幕張駅側へ直接右折できない)により、浜田緑地~海浜幕張駅間の経路は往復で異なる。また、幕張西第三公園は従来幕01系統・マリンスタジアム方向のみバス停が設置されていたが、この路線の開通により、幕張本郷駅方面にもバス停が追加された。但し、本路線開通後も幕01系統は従来どおりマリンスタジアム方面のみ客扱いを行う(幕張本郷駅行きは通過する)。
[編集] 幕張ベイタウン線
- 海01:海浜幕張駅→カルフール→ベイタウン→パルプラザ→海浜幕張駅(タウンルート)
- 海02:海浜幕張駅→カルフール→ベイタウン→海浜幕張駅→ハイテク通り→海浜幕張駅(タウンルート、平日朝のみ)
- 海03:海浜幕張駅→ハイテク通り→海浜幕張駅→カルフール→ベイタウン→海浜幕張駅(タウンルート、平日夕のみ)
- 海11:海浜幕張駅→カルフール→ベイタウン→カルフール→海浜幕張駅(タウンルート、平日日中のみ)
- 海21:海浜幕張駅→ミラリオ→パルプラザ→海浜幕張駅(マリンルート)
- 海22:海浜幕張駅→ミラリオ→海浜幕張駅→ハイテク通り→海浜幕張駅(マリンルート、平日朝のみ)
- 海23:海浜幕張駅→ハイテク通り→海浜幕張駅→ミラリオ→海浜幕張駅(マリンルート、平日夕のみ)
- 海31:海浜幕張駅→カルフール→ミラリオ→カルフール→海浜幕張駅(マリンルート、平日日中のみ)
平和交通との共同運行路線。京成バス担当便と平和交通担当便とが交互に運行され、両者合わせて日中は1時間に4本運行される。路線の沿革については平和交通のベイタウン線を参照。
[編集] 新都心回遊線(ポケットバス)
- 海51:海浜幕張駅~キヤノンマーケティングジャパン~イトーヨーカドー~京成幕張駅(平日朝夕のみ)
- 海52:海浜幕張駅~イトーヨーカドー~京成幕張駅
- 100円:海浜幕張駅→富士通→キヤノンマーケティングジャパン→カルフール→海浜幕張駅
- 100円:海浜幕張駅~幕張メッセ中央~コストコ・ホールセール
- 100円:海浜幕張駅~幕張メッセ東口~マリンスタジアム
[編集] 習志野市ハッピーバス
2007年11月29日より実証運行(当時は「ならしのしコミュニティバス」)を開始、2009年5月1日より「習志野市ハッピーバス」に改称すると同時に京成津田沼駅内陸・海浜ルートのみ本格運行へ移行した。
日野・ポンチョで運行する。運賃は一部区間除き全ルート共通の大人150円・小人80円。バス共通カードおよびSuica・PASMO、また京成バスの発行する各種全線パス類も使用可能。コミュニティバスの全ルートが1ヶ月間自由に乗車できる「コミパス」が5000円でバス車内で発売されている。
- 京成津田沼駅 内陸ルート(本格運行)
- (海浜ルートから)→京成津田沼駅~第五中学校~藤崎保育所入口~藤崎小学校~藤崎保育所入口~第五中学校~京成津田沼駅→(海浜ルートへ)
- 京成津田沼駅 海浜ルート(本格運行)
- (内陸ルートから)→京成津田沼駅~習志野市役所~鷺沼一丁目~香澄三丁目~総合福祉センター~千葉工業大学入口~新習志野駅~海浜公園
- 京成津田沼駅から内陸ルートはJR津田沼駅の東をかすめて北の藤崎地区を、海浜ルートは習志野市役所から鷺沼地区を経て南の香澄団地・秋津団地・茜浜緑地を結ぶ。
- JR津田沼駅前ロータリーには乗り入れない。JR津田沼駅の最寄は、内陸ルート「6番 津田沼一丁目」(イトーヨーカドー津田沼店の入口前)となる。
- 内陸ルートと海浜ルートを乗り通す場合は、大人200円・小人100円となる。ただし、内陸ルートから海浜ルートの「3番 習志野市役所」までを利用する場合、運転士へ申告すると運賃据え置き(大人150円・小人80円)で乗車できる。
- 海浜ルートは実証運行時代は「23番 千葉工業大学入口」~「24番 海浜公園」で、間に新習志野駅を経由しなかった。新習志野駅の追加と24番の付番に伴い海浜公園は25番となった。
- 海浜公園は開場中は駐車場内で乗降及び折り返しを行うが、閉場中は路上の停留所で降車させた後、折り返しは茜浜車庫で行い、再び路上の停留所で乗車させる。(ただし、車両は花輪車庫所属である。)
- 余談だが、「23番 千葉工業大学入口」は千葉工業大学の芝園校地、「25番 海浜公園」は同大学の茜浜校地の最寄の停留所である。
- 京成大久保駅ルート(実証運行)
新津田沼駅北口~第五中学校~習志野警察署~京成大久保駅北口・南口~東部保健福祉センター
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- 「11番 三角公園」を越えて乗車した場合、運賃が大人200円・小人100円となる。
- 実籾駅ルート(実証運行)
済生会習志野病院~京成大久保駅南口~日大実籾(日本大学生産工学部)校舎正門~実籾駅~東習志野コミュニティセンター~日鐵住金溶接工業~東習志野コミュニティセンター~ほたる野商店会~日大実籾校舎正門~京成大久保駅南口~済生会習志野病院
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- 済生会習志野病院~京成大久保駅南口間は平日のみ運行。「9番 第二中学校入口」を越えて乗車した場合、運賃が大人200円・小人100円となる。
[編集] 運行形態の見直し
これまでの実証運行の結果、2009年5月1日より京成津田沼駅内陸・海浜ルートのみ事業主体を当営業所へ移し、本格運行へ移行することになった。京成大久保・実籾駅ルートについては、市民の要望を反映した運行形態へ変更して2010年3月末まで実証運行を継続する。これに伴い、前述のルートへの変更が行われた。
- 「第五中学校」では、京成津田沼駅内陸ルートと京成大久保駅ルートへとの乗り換え、「京成大久保駅南口」では、実籾駅ルートと京成大久保駅ルートへとの乗り換えが可能になった。乗り換え前のバスで乗換券を受け取ることにより、乗換後のバスで払う運賃が大人100円・小人50円となる。また、一部乗換後の運賃が不要となる区間もある。
[編集] 外部リンク
- 京成バス「習志野市コミュニティバス運行開始」
- 習志野市「コミュニティバス実証運行中」(路線図・時刻表PDFファイルあり)
- 習志野市「コミュニティバスの愛称が「ハッピーバス」に決定しました!!」
- 習志野市「広報習志野2009年4月1日号4・5ページ」2009年5月1日以降の運行形態
[編集] 注記
- ^ a b c バスラマ・インターナショナル24号 p90
- ^ 千葉市公共交通総合連携計画:html/pdf
- ^ "2010年1月28日付読売新聞『マリン球場へ ベンツ製連節バス』". 2010-01-29 閲覧。
[編集] 関連項目
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| Grupy dyskusyjne w Google Apps |
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Usługa Google Groups weszła do narzędzi dostępnych w Aplikacjach Google (Google Apps). Dzięki temu pracownicy lub uczniowie mogą tworzyć własne grupy dyskusyjne, a w ich ramach można łatwiej udostępniać dokumenty, arkusze, prezentacje itd.
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| Operator musi wydać internautów |
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Szwedzki telekom musi ujawnić dane osobowe założycieli jednego z serwisów torrentowych. Czy to kolejna rysa na przyjaznym wobec internautów wizerunku Skandynawii?
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| Handlował zabytkami w sieci |
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Ponieważ jednak znaleziska pochodziły z nielegalnych wykopalisk archeologicznych, sprawą zainteresowania się policja. Bo dokładnym jej zbadaniu mężczyźnie postawiono zarzuty działania na szkodę Skarbu Państwa oraz paserstwa.
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| Połowa Amerykanów zapłaciłaby za dostęp do wiadomości |
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Ale to i tak jeden z najgorszych wyników wśród zbadanych krajów. Europejczycy są znacznie bardziej skłonni do płacenia za dostęp do wiadomości. A także bardziej hojni.
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| UE chce ujednolicić system patentowy |
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System patentów w Europie ma być w przyszłości jednolity i tańszy. Dodatkowo ma być ustanowiony nowy europejski sąd patentowy. Porozumienie w tej sprawie przyjęła Rada UE. Stanowi ono przygotowanie do dużej reformy europejskiego systemu patentowego, która ma nastąpić "w bliskiej przyszłości".
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