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核兵器

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核兵器(かくへいき)は、原子核反応つまり核分裂または核融合によって放出される熱、爆風および放射能といった高エネルギーを破壊に用いる兵器の総称。原子爆弾水素爆弾中性子爆弾等の核爆弾核弾頭)とそれを運搬する運搬兵器で構成されている。

核兵器は、生物兵器化学兵器と合わせてNBC兵器(又はABC兵器)と呼ばれる大量破壊兵器である。一部放射能兵器も含めて核兵器と称する場合があるが、厳密には放射能兵器を核兵器に分類するのは誤りである。

目次

[編集] 核兵器の歴史

原爆の被害者
核兵器使用後の都市(1945年、広島)

詳細は「核兵器の歴史」を参照

[編集] 第二次世界大戦と核兵器開発

1930年代中性子による原子核の分裂が連鎖的に行われれば、莫大なエネルギーが放出されると仮説が立てられていた。1939年ウランによる核分裂連鎖反応が実験実証されると各国で原子炉の開発が開始された。当初は必ずしも兵器目的ではなかったが、この年の9月に第二次世界大戦が勃発すると、核分裂の巨大エネルギーを兵器として利用する原子爆弾の可能性が活発に議論されることになる。原爆の秘密裏の検討は連合国側・枢軸国側ともに行われていたとされる[1]

[編集] マンハッタン計画

この時代で原爆開発を組織的に最も推進できたのはアメリカであった。当時のアメリカには当時核開発を行っていたドイツナチスユダヤ人迫害から逃れてアメリカに移民した優秀な科学者が大勢おり、その一人のレオ・シラードアインシュタインの署名を得て、ルーズベルト大統領にヒトラーの核保有と独占の危険性を訴える手紙を送った(1939年8月)。これを契機に原爆開発がスタートしたとされる。 この秘密開発プロジェクトはマンハッタン計画と呼ばれた。

ウラン濃縮プラント・プルトニウム生産炉の各巨大工場の建設、そしてオッペンハイマーが率いるロスアラモス研究所には優秀な科学者を全米から集め、アメリカの軍・産・学の総力を挙げた国家プロジェクトとなった。最初の原爆は1945年7月16日に完成(3個)し、そのうち1個(ガジェット)によりアラモゴードの砂漠で世界最初の原爆実験を実施した。残りの2つの原爆が日本に投下された。

詳細はマンハッタン計画日本への原子爆弾投下を参照

世界初の原子爆弾の実使用は、1945年8月6日午前8時15分に広島に対して濃縮ウラン型原爆リトルボーイB-29エノラ・ゲイ)からの投下で実行された。ついで1945年8月9日午前11時2分には長崎に対してプルトニウム爆縮型原爆ファットマンB-29ボックスカー)から投下された。

原爆投下により両都市は一瞬にして壊滅し、数十万人が殺害された。原爆炸裂によるキノコ雲の頂点は17kmと成層圏に達し、雲からは放射性物質を含む黒い雨が30kmの範囲に降り注ぎ、被曝の人的被害を拡大した。

詳細は広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下を参照

原爆の成功に軍当局は喜んだが、原爆使用の実体が明らかになってくると世界は震撼し、原爆開発に関係した科学者からも原爆反対の声があがっていくことになる。

核の力によるアメリカの単独覇権は想定通りとならなかった。予想以上に早く、1949年ソ連原爆実験に成功したからである。これ以降、世界は核の均衡の上の冷戦の時代に突入する。

なお、ソ連の原爆開発には、CFR(外交問題評議会)メンバーであり、ルーズベルト政権の商務長官兼任大統領主席補佐官であったハリー・ホプキンスが、意図的にソ連に原爆技術を移転したという、レーシー・ジョーダン(George Racey Jordan)少佐のアメリカ議会委員会での宣誓供述がある[2]

[編集] 冷戦時代の核競争

核実験を至近距離で見つめる兵士たち。核攻撃直後の被爆地における作戦行動能力の調査という名目であったが、人体への影響を調査する実験体であったとも言われる。
アメリカ合衆国(青)とソビエト連邦(ロシア、赤)の核兵器保有量の推移(1945年-2005年)

冷戦時代には、アメリカ合衆国とソビエト連邦の間で核兵器の大量製造、配備が行われた。1952年にイギリス、1960年にフランス、1964年に中国、1974年にインドが原子爆弾を開発・保有した。1953年にソビエト連邦、1954年にアメリカ合衆国、1958年にイギリス、1967年に中国、1968年にフランスが水素爆弾を開発・保有した。核兵器の量は地球上の全人類を滅ぼすのに必要な量を遥かに上回っていた。核兵器保有国は最盛期には、アメリカ合衆国は1966年に約32,000発、ソビエト連邦は1986年に約45,000発、イギリスは1981年に350発、フランスは1992年に540発、中国は1993年に435発、五か国合計で1986年に約7万発[3]を保有していた。また、核による先制攻撃を通じて相手国に致命的なダメージを負わせ、戦争に勝利するという戦略を不可能にするべく、相手国の攻撃を早期に探知し、報復するためのシステムが構築された。この戦略は相互確証破壊(Mutually Assured Destruction, MAD)と呼ばれ、冷戦期の核抑止をめぐる議論で重要な役割を果たした。

また核兵器の小型化にともない冷戦期には戦略的な使用のみならず戦場などで使用される戦術核兵器も開発され、同時代のミサイルの信頼性の低さを補うための対空核ミサイル、潜水艦を確実に沈めるための核魚雷、敵部隊を一撃で殲滅するための核砲弾など、ありとあらゆるものの核兵器化が行われた。戦略爆撃機弾道弾搭載原子力潜水艦(SSBN)大陸間弾道弾(ICBM)の三つは核兵器の三本柱(トライアド)といわれた。

[編集] 核の冬

核兵器の大量使用の後には、地表は放射性物質で汚染され、また放射性物質を含む灰(放射性降下物)が降ることになる。巻き上がった灰によって日光が遮られ、地表の気温が低下し、植物が枯れ、人間が生存できない環境になることが指摘された。このような状態は核の冬と呼ばれる。この核の冬を生き延びるための手段は用意されなかった。爆心からある程度離れた地点で、核爆発時の熱、爆風、放射線を逃れ、核爆発後の放射能の減衰を待つための核シェルターと呼ばれる地下施設が考案されたのみである。このように核兵器を使用すること自体が人類の絶滅に直結するため、核兵器の使用につながる戦争を抑止できるとされる。

核兵器の恐怖や核戦争のリスク、放射線による殺傷の残酷さなどは知識人、作家、政治家、政治活動家、一般市民など多くの人々の関心を呼んだ。そのため反核運動が生まれた。一方で、核兵器を廃絶することで通常兵器による戦争が誘発されるため、平和の為に核抑止力を維持すべきとの主張もみられる。

[編集] 冷戦終結後の核兵器

崩壊寸前の旧ソ連とアメリカ合衆国は、1991年7月に第一次戦略兵器削減条約(START1)を締結し、核兵器の削減が進んでいた。ソ連崩壊後も、現在のロシアが戦略兵器削減条約を引き継ぐ形で進行していた。しかし第二次戦略兵器削減条約は1993年に条約を締結したものの発効せず、第三次戦略兵器削減条約の交渉も不調となった。2001年に第一次戦略兵器削減条約が定めた廃棄が完了し、2002年のモスクワ条約では核兵器の配備数の削減を削減(廃棄は義務付けず保有は容認)を定めた。2009年1月に就任したオバマ大統領は、核兵器軍縮政策の最終目標として核兵器保有国の協調による核兵器の廃絶を掲げている。

ソ連の崩壊後は、経済情勢の悪化や汚職の蔓延に伴う管理体制の不備から、ロシアから第三国への兵器の流出、あるいは技術者の流出が増加しているとされる。かつての核大国以外での核兵器の使用、誤使用などのリスクは、冷戦時代とは違った意味で増大している。

これらのことから、自国の安全という核抑止論で配備された核兵器が、安全を脅かす存在そのものとして世界各国に散らばり、さらにそれらに対する安全としてさらに増加し、全世界を巻き込む騒動の火種となりつつあることを示している。

1998年にはパキスタンが原子爆弾を開発・保有した。近年ではカシミール地方の領有権を巡るインド・パキスタンの国境紛争が核兵器の使用につながる可能性があると懸念された。

また北朝鮮は体制維持を目的に、近隣他国に対する交渉手段として、核兵器の開発を継続していると言われていたが、2006年10月9日に核実験を実施(→北朝鮮の核実験)。

[編集] 核兵器廃絶への取り組み

詳細は「反核運動」を参照

核兵器の計画時から現在までの、核兵器の開発・保有・使用に対する、管理・規制・反対・廃絶などの動きには以下がある。

第二次世界大戦中の原爆使用に反対する動きはフランクレポートがあり、第二次世界大戦終了後にはパグウォッシュ会議などがある。

1959年の南極条約以来、各地域で非核地帯が条約で設定された。一部の条約は核保有国も参加している。

核実験の制限には、1963年の部分的核実験禁止条約があるが、地下核実験を含め禁止する1996年の包括的核実験禁止条約は、2010年現在でも発効していない。ただし臨界前核実験はいずれの条約でも禁止されていない。

核兵器の拡散防止では、1968年に国連総会核拡散防止条約(NPT)が採択された。これはアメリカ合衆国、ソビエト連邦、イギリス、フランス、中華人民共和国(五大国)のみを国際的に認められた「核兵器保有国」として核軍縮義務を規定し、他の「非核兵器保有国」の核兵器保有を禁止し「核の平和利用」に限定するものである。

主要な核兵器保有国間である米ソ間では、1969年から戦略兵器制限交渉(SALT)が行われ、1972年には第一次戦略兵器制限交渉(SALT-I)および弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)が締結されたが、後継の第二次戦略兵器制限交渉(SALT-II)はアフガニスタン侵攻に反発するアメリカ議会により批准されずに無効化した。1982年からは戦略兵器削減条約(START)が開始され、1987年には中距離核戦力全廃条約、1991年には第一次戦略兵器削減条約(START I)が締結、1993年には後継の第二次戦略兵器削減条約(START II)が調印されたが、アメリカ議会が批准せず発行していない。2001年にはミサイル防衛を推進するアメリカによって弾道弾迎撃ミサイル制限条約の破棄が行われたため、ロシアは第二次戦略兵器削減条約を実行しないと表明した。2002年にはモスクワ条約が締結された。

国連総会では1994年から16年連続で核兵器廃絶決議を採択しているが、2008年は賛成が史上最多の173か国となり、2009年はアメリカ合衆国が初めて共同提案国となった。また2009年にアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領は、アメリカ合衆国大統領としては初めて核廃絶に向けた「核兵器のない世界(核なき世界)」の演説を行い、ノーベル平和賞を受賞した。

[編集] 核兵器拡散状況

詳細は「核兵器を保有する国の一覧」、「ニュークリア・シェアリング」、「非核地帯」をそれぞれ参照

     核保有国      NATOの核共有国      NPTのみ      非核地帯

[編集] 日本の核戦略

日本は第二次世界大戦中は原爆開発を行ったが、広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下を受けた。

第二次大戦後の日本政府は、「日本は戦争における世界で唯一の被爆国」として、原子力は平和利用に限定し、核兵器拡散防止条約(NPT)を批准し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れて、非核三原則国是とした[4]。また1994年以降は国連総会に16年連続で核兵器廃絶決議案を提出している。

しかし「原子力の平和利用」には、核燃料サイクルの中で高速増殖炉で発生するプルトニウムに関して、軍事転用疑惑を指摘する意見がある。

また「非核三原則」には、以下の意見も存在する(詳細は各項目を参照)。

[編集] 各国の核戦略

核兵器は現実問題として、積極的に使用することは困難な兵器であり、その存在意義は防衛的、戦略的なものが強い。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インドは大国であり、防衛のために核に頼る必要は少なく、戦略的な意味合いが強い。即ちアメリカは世界戦略、その他の諸国は地域の安定化、自国に有利な状況を作り出すために核を保持している。

一方パキスタンや北朝鮮のような比較的軍事的に脆弱な国は、最後の安全保障として核に頼る考えを持っている。韓国や台湾、イラクなども同じ思想を持っていたが、韓国・台湾はアメリカの説得・工作により、イラクはイスラエル軍がイラクの原子炉を破壊したことにより(イラク原子炉爆撃事件)、それぞれ開発を断念した。また北朝鮮のように、核カードを切って譲歩を導き出そうとする国家も存在する。イスラエルはこの中間で、軍事力はアメリカの援助もありかなり強大な部類に入るが、中東紛争の切り札として核を(持っているかいないかをぼかしていることも含め)重視している。

これらの(一応は合理的な本来の)目的のほかに、国威高揚を目的として核開発を行う場合も少なくない。究極的な軍事的自立を目指せば核が必要になり、核という先端技術そのものも宇宙開発同様、国民の自尊心称揚の手段になると考えられるからである。これは一部の強硬な核武装論者の主張でもある。

南アフリカ共和国は核兵器を開発、配備しながら、廃絶したことを公表した唯一の国である。

上記のことを背景に、核兵器が最終兵器と呼ばれることもある(用法例:東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した)。

[編集] 秘密裏に核兵器開発を行う可能性

核保有国からなる「核クラブ」(原子力供給国グループ)の国々では、CTBTに同意しているか否かに関わらず他国の新たな核兵器保有を認めていない。特にアメリカ合衆国を中心に地球規模での核開発阻止政策を推し進めており、そういった核クラブ国に証拠を掴まれずに容易に核兵器の開発を行える状況にはないといえる。

核物資や核に関する技術と装置は、たとえそれが平和利用を目的とする原子力発電用のものであると主張しても、IAEAの厳しい監視下でしか導入は許されない。核クラブ(のボスたる米国)に敵対する立場をとるイランや北朝鮮のような国では、平和利用を謳いながら核兵器開発に使用するのではないかと常に疑いを持たれており、国際的な核問題の中心課題となっている。米国はこれらを含む特定の国への核技術の提供を行わないように各国に強く求めている。逆に諸条約に参加せずまた米国に睨まれさえしなければ、疑惑の指摘を受けようがイスラエルやパキスタンのように“否定も肯定もしない、想像に任せる”とかわし続け、果てはインドのように堂々と開発を行なう事が出来るのである。

[編集] 可能性の検討

核物質

ソビエト連邦の崩壊時にある程度の量の精製済み核物質が不法な手段で持ち出されたという真実味を帯びた噂があり、それを裏付けるようにソ連時代の核科学者がソビエト崩壊後に大量に海外へと流出していた時期がある。ウラン鉱石そのものは、たとえば日本でも採れるように世界の各地で採掘が可能なため、入手そのものは可能と推察できる。

精製施設

核兵器として使えるだけの精製度の高い核兵器級核物質を得るには、ウランを濃縮するか、兵器用プルトニウム生産を行った原子炉由来のプルトニウムを精製する必要がある。こういった精製施設は核クラブの監視の目を潜り抜けて秘密裏に建造・運転することは極めて困難であり、精製に必要な莫大な電力を賄うために発電所を建設すると、電力需要に不釣合いな発電施設は容易に注目を浴びることになる。

ウラン濃縮には大電力を消費する遠心分離法ではなく、レーザー法では低消費で済むという見方もあるが、核先進国のフランスでは今でも遠心分離法を採用しているため、レーザー法の消費電力の真偽は不明である。仮にレーザー法が低消費であっても、高度技術の導入が必要なのは確かである。なお、兵器製造と発電燃料製造のための濃縮は、濃縮の程度等根本的に異なり、全くと言ってよいほどの別物である。

実証実験

核爆発装置を兵器として完成するには、少なくとも核爆発実験などの実証実験が不可欠であり、 偵察衛星や高精度地震計、空中の核分裂反応由来ガスの収集などの監視技術が発達した現在では、多くの痕跡を残す核実験は秘密裏での実施は困難であるとされる。

臨界前核実験

アメリカ合衆国では1990年代から臨界に至らない「臨界前核実験」という核兵器の開発法が導入され、核兵器の能力と精度の向上とすでにある核兵器の信頼性の検証をしている[5]。 ロシアでも20世紀末から臨界前核実験を行っている[6]とされるが、これらは共に数え切れないほどの核爆発実験ときわめて高度な核物理学の知見の元で、コンピュータ・シミュレーション技術の助けがあって初めて実現した成果である。

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[ヘルプ]
  1. ^ 例えば、U-234に見られるように核兵器に必要なウラン鉱石をドイツから日本へ運搬する計画が存在した(日本の原子爆弾開発を参照)。
  2. ^ George Racey Jordan (1965). From Major Jordan's diaries. Western Islands. 
  3. ^ Bulletin of the Atomic Scientist. "Global nuclear stockpiles 1945–2006". 2009年4月25日 閲覧。
  4. ^ 日本の軍縮・不拡散外交 - 外務省
  5. ^ アメリカ科学者連盟1997年7月2日「国防総省、初の臨界前核実験成功を公表
  6. ^ ボストン大学「グローバル・ビート」内 ベロナ財団1997年12月10日発表「ロシア、臨界前核実験(草案START-II法)を実行

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ


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